反発の奥にあるもの
白状すると、私の考えごとの多くは、反発から始まっている。
何かに違和感を覚える。納得できない。それは違うだろう、と思う。書きたいことが生まれる瞬間は、たいていそういう瞬間だ。
このサイトの名前は an alternative——並んで存在する、もうひとつの場所。対立ではなく並存を掲げている。でも、その名前を選んだ人間の内側は、こんなふうにできている。
対立軸で立てた主張には、構造的な問題がある。
魔王がいなければ、勇者は必要ない。何かへの反対として自分を定義すると、その主張は相手の存在に依存する。相手が変われば主張も揺れ、相手が消えれば主張も消える。自分の立ち位置の決定権が、相手の側にある。
もうひとつ。対立は、相手を見続ける義務を生む。反対し続けるためには、相手を観察し続けなければならない。何に反対しているのかを、常に最新に保たなければならない。気がつくと、自分の時間の多くを、好きでもないものを見ることに使っている。
反発から始めて、反発のまま書くと、この構造に入る。
だから私は、書く前に、ひとつ作業を挟むことにしている。
反発を、選択に置き直す作業だ。「あれは違う」から始まった考えを、「では、私は何を選ぶのか」まで運ぶ。相手への反論としてではなく、自分の選択の根拠として語れる形になるまで、待つ。
反論したくないわけではない。ただ、うまく反論できないことも多い。違う、と感じているのに、どこが違うのかを言葉にできない。モヤモヤだけが残る。
置き直しは、そういうときにも効く。相手のどこが違うかを言えなくても、自分が何を選ぶかは言える。そして何より、相手を見続け、相手に定義される場所に、私は立ちたくない。反発は入口だ。入口に住み続ける必要はない。
この作業を繰り返すうちに、わかってきたことがある。
反発の奥には、たいてい、大切にしたいものが先にある。速さへの反発の奥には、じっくり考える時間がある。スケールへの反発の奥には、手の届く大きさがある。
だから、反発を感じたときは、大切なものを見つけるきっかけが来た、ということでもある。反発そのものを書くこともできる。でも私は、その奥にあるもののほうを書きたい。そちらは、反発の相手が消えても、残るからだ。
an alternative は、そういう場所の名前だ。
何かの反対側ではなく、何かの隣。魔王が消えても、残る場所。
反発から始まる人間が、反発の文法を降りる。この文章自体が、その練習のひとつだ。